突きつけられた銃口は地獄の釜の様だ。使い込まれているのが一目でわかる黒光りさ。もともとマットブラックに仕上げられていたであろう特注品は、今では鏡の様に磨きこまれている。愛用品であるのが一目でわかった。予想以上の手馴れだ、悪い予想が頭をよぎるが、思い起こした埋葬機関の名簿に東洋人の名前は無い。最悪の相手ではないようだ。だが―――吸血鬼相手の戦闘も経験していることだろう。それも、恐らくは豊富に。強敵であるのは間違いなかった。
 
「……撃てよ」
 
 掠れた声だ。緊張で掌に汗をかいた、相手のほうが僅かに速い。それが、感覚で理解できた。だが僅かな差だ、死ぬのはほぼ同時だろう。決定的な速度の差ではない。アドレナリンのつんとした感覚が鼻の奥を焦がす。銃を握った右手が、かすかに震えた。
 
「先に撃たせてやる」
 
 殺意が笑みを形作る。
 
「脅しだと思わないことだ―――」
 
「―――やればいい、だがアンタも無事で済むとは思うな」
 
 夜は長い。
 
 この対峙はいつまで続くのだろう。と、切嗣は考えた。
 
「―――ク」
 
 一人で考えたところで、答えなんて出るわけがなかった。眉根を寄せて、強気に笑う。不可思議そうに南雲の片眉が跳ねた。
 
「余裕だな」
 
「そうでもないさ、お互い天国の扉の前だ」
 
 一人で考えても答えは無いが―――
 
「俺はそうだろう、だが、魔術師に行き場などあると思うな」
 
「いけないのか」
 
「ああ、お前たちは地獄でも生温い」
 
 ―――二人なら話は別だ。
 
「言ってくれる―――ところでな、銃ってのは厄介な得物だと僕は思うんだが―――」
 
 店の奥に目をやると、不意に切嗣は話を変えた。
 
「―――?」
 
 何を言い出すのか、と、南雲の気がそれた事を切嗣は敏感に嗅ぎ取っていた。
 
(それでいい、今は注意をこっちのほうに向けることが肝心だ)
 
「何を言っている」
 
「アンタ、想像したことがあるか? こんな具合に抜き付け合うなんて」
 
「無いな」
 
「だろうな、銃ってのはその点厄介だ、ナイフだったら押し込むだけで済むが……」
 
「引き金を引いて、弾が出るまでの間に俺も撃てる。そう言いたい訳だな」
 
「御名答」
 
 反射的に撃つだけで相手は避けることも叶わずに絶命する。発射前に避けようとすれば、僅かな動きを契機に弾丸は発射される。どの道動けばお互いが死ぬ、今の状況は千日手だった。動けない。ただそれだけのことなのに、正気が、がりがりと削り取られていく。不用意な動きが死に繋がる、それはお互い美味くなかった。犬死だ。
 
「だがどうする? 同時に銃を引くぐらいしか出来ることは無いぜぇ?」
 
「そうでも無いさ」
 
 掌の汗が引いていく、緊張からの震えも止まった。嵌められた、南雲の顔にそう書いてある。
 
「そうか」
 
「つまりお前には―――」
 
 瞬間、南雲は首筋に冷たい光を感じて言葉を呑んだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                        「A good & bad days 5.」
                          Presented by dora
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 無言の圧迫。それで、相手がためらわずに喉首を掻っ捌くと理解した。二対一では勝ち目が無いと判断したのか、南雲が引き金からゆっくりと指を離す。
 
「イイオトコ二人が面付き合って、何の相談だい? あたしも混ぜて欲しいね」
 
 女か、南雲は思った。
 
「―――どうやら切り札があったようだな」
 
 視線を落とすと、其処には良く研ぎ上げられたナイフが突きつけられている。食い込み方
は、致命的だ。引き金を引くより早く、切っ先が喉仏を貫くだろう。お互いの額から、銃口がゆ
っくりと離れた。
 
「やってくれるぜ」
 
「お互い様だ」
 
 銃口を天井に向けるのは同時に、ゆっくりと撃鉄に親指をかけて戻す。がちり、と鈍い金属
音が低く響く。
 
 同時に、イレーネもナイフを納めた。
 
「ああ、つまり―――」
 
「アンタは探し当てたつもりだったろうが―――どっこい吊り上げられたのは」
 
「俺だった―――か」
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 居眠りから目を覚ましたバーテンに言って、席をテーブルに移した。πωαδと、手際よくイレ
ーネが防音結界を張る。グラスに注がれた琥珀を、それぞれがそれぞれの思いで見つめた。
 
 
 南雲は机の上で脚を組むと、グラスを傾け言った。
「借りが出来たな」
 
「知らないな」
 
 しれっと答える切嗣に構わず、南雲は言葉を続ける。
 
「殺れるのに殺らなかった、これでこちらから殺しにかかるような不義理はできん」
 
「なぜ?」
 
 
 心底不思議そうにイレーネが聞くと。
 
「地獄に落ちるからな」
 
 と、さも当然の様に、彼は答えた。
 
 
 
 
 
 
 

 
 グラスの氷が鳴る。誰も口を開かないまま、数分が過ぎた。
 
「どうして殺さなかった」
 
「僕に聞かないで欲しいな」
 
 二人の視線がイレーネを向く。あでやかに微笑むと、彼女は一枚の絵図面を開いた。組織
図―――おそらくはジョナサンの。一目見て、切嗣は見当をつけた。
 
「これは?」
 
「共通の目標」
 
 簡潔な答えだ。だが、それで十分判る。どの道壊滅させる相手だ、情報は多くあるだけ良
い。
 
「提案があるんだ、聞くかい」
 
「聞こう」
 
「受けてやる」
 
 イレーネは、話の早い男たちだね。と、呟くとグラスで唇を湿らせた。
 
「チームを組みたい」
 
「俺は構わん」
 
 だがこれで借りは返した、南雲が言う。
 
 切嗣は悩んでいた。彼にしては珍しい事だ。むしろ、この状況を想定していなかった。誰か
と共同で任務に当たることなど、自身の経験にはない。それが、返答を遅らせる理由だった。
 
 そんな切嗣を横目で見やると、小さくため息を吐いてイレーネは先を進める。
 
「どのみち皆知ってる話だ、話だけ進めさせてもらう」
 
 白い指が、幾つかの名前をたどる。それを四つの目が追った。
 
「―――エミヤが直参を既に三人仕留めている、魔術師で脅威になるのは、エリックとジョナ
サンと、配下の五人だけだ」
 
「後七人か」
 
「Yes.」
 
「で、話ってのは?」
 
「簡単さ。一人で七人殺るのは骨が折れる、三人で二人ずつならすぐだろう?」
 
「もっともだ、だが、いつまでだ?」
 
 最後まででは俺も話に乗ることは出来ない。そう、南雲は言いたいようだった。それももっと
もだ。管理下以外の神秘を異端とする教会に在って、ただ「魔術師と協力して来ました」では
話になるまい。
 
「こっちは隠蔽と脳髄の確保が出来れば問題なし―――アンタは、脳髄すら焼却したい」
 
「ああ」
 
「だからチームはジョナサンをやるまでだ、後は好きにしたら良い」
 
「つまり―――」
 
「僕からお前が脳髄を奪うのも自由って意味だ」
 
「乗った」
 
「OK.話が早くて助かるよ、じゃ―――方法はどうする?」
 
「……使え」
 
 スーツ内ポケットから、南雲が封筒を取り出した。
 
「これは?」
 
「調べたのはお前のことだけじゃない」
 
「なるほど」
 
 広げられた其処には、各人の詳細が調べ上げられていた。
 
「幸い今日は日曜だ」
 
「何?」
 
「これから一人地獄に送ってくる」
 
 ボルサリーノのつばを指で弾くと、南雲はニコリともせずに店を出た。連絡先は、当然の様
に残していかなかった。
 
「で、エミヤは?」
 
「え?」
 
「アンタの答えはまだ聞いて無いよ」
 
 そういえば言っていなかった。と、切嗣は今になって気がついた。どうやら自分は思っている
以上に抜けているらしい。
 
「組もう、一つ条件があるが―――いいか?」
 
「言ってみな」
 
 机に肘を突いて、グラスを傾けながらイレーネはたずねた。
 
「なるべく被害を出さないように、特に、一般人を巻き込まないようにやる。それが出来ないな
ら今回の話はなしだ」
 
「OK.それはアンタの可愛い人のためかい?」
 
「……好きなように取れ」
 
 案外可愛いところもあるじゃない。後になってそれが覆るとは思わず、イレーネは男を見つ
めた。
 
「今晩どう?」
 
「先約がある」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 がらり、と、懺悔室の扉を開ける。入って、椅子に座ると扉を閉めた。胸に重く溜まった空気
を、ゆっくりと吐く。此処だけが唯一自分が自分に戻れる空間だとエリックは思っていた。
 
「どうなさいました」
 
 低い神父の声、何時もと何処か違うと思いながらエリックは告白した。
 
「神父様、私は罪を犯しました」
 
「続けなさい」
 
「―――」
 
 此処まで来て、エリックはあの一件について語ることに僅かな抵抗があった。
 
「どうしましたか」
 
「いえ、その―――」
 
「貴方が罪を告白し許しをこう限り天なる父は貴方を許すでしょう、貴方が罪を隠匿する限り
貴方の罪は重くなるでしょう」
 
 エリック・ローデスは魔術師である。だが、それ以前に敬虔なクリスチャンでもあった。故に
神父の言葉は重く、エリックの根底を揺さぶるのだ。いわく―――地獄に落ちることほど辛く
悲しいことは無い、と。積もり積もった身内の悪行に、エリックは心を痛めていた。それゆえ、
あの神父にリストを渡したのだった。あの、東洋人の彼なら―――私達を救ってくれると信じ
て。
 
「―――告白します、私は兄が人を殺しに行く事を止められませんでした。また、私は兄が殺
される様を黙って見ておりました」
 
 あの東洋人―――衛宮切嗣と言ったか―――悪魔のような手際の良さだった。地面に降り
たってからの動きが忘れられない。一つ目の爆薬を炸裂させ、兄と半数の部下を皆殺しにし
た後、一階の爆薬に点火した。恐ろしかったのは、確実に爆炎の範疇に居たというのに、男
の衣服には焼け焦げ一つなく―――おそらくは―――唯一爆炎の当たらない場所に立った
のだろう。残った半数もそれで皆死んだ。その後に、何事もなかったかのように男は煙草を加
え、ディナーについて一人ごちた。人の丸焦げが其処にあることにもかかわらずだ。それが恐
ろしくて、エリックは何も出来ずに見送るだけだった。
 
「告白は受け入れられました、罪の許しを請いなさい」
 
「神よ、罪深き私をお許しください。なにとぞ貴方の御慈悲をお授けください」
 
 手を組んで目を閉じ、一心に祈る。
 
「貴方の罪を許しましょう。A−men」
 
 告白前とは違う、染みとおるような優しい声音。緊張が完全にほぐされたと思った。がちりと
金属音、直後に破裂するような轟音。額に光を見た。そう思った。これが啓示か。
 
 それが、神の光などではなく銃火だとは―――毀れたエリックの脳漿には認識できなかっ
た。
 
 
 
 
 
 
 

 
 靴底で、死体の体をひっくり返す。死体の処理は既に頼んであった。煙草に火をつける、脳
漿にワインをたらして生臭さを誤魔化した。
 
「笑わせるな魔術師風情が、お前の行く場所は地獄しかない」
 
 底冷えする声音で、南雲は告げた。
 
 ―――残すところ六人。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 夜半に帰った切嗣は玄関を開けたまま固まってしまった。
 
「お帰り」
 
「……うん、ただいま」
 
 ―――ナタリーが起きている、てっきり、今夜はベッドに潜り込むまで目を覚まさないだろう
と踏んでいたのに。
 
「どうしたの?」
 
「起きているとは思わなくて」
 
 スケベ、と、彼女は言うと。
 
「なんとなく目が冴えちゃって―――まだ飲める?」
 
 そういって、ウィスキーのボトルを振って見せた。
 
「付き合おう」
 
 ジャケットを脱いで、ハンガーにかける。椅子にかけると、甘えるように彼女が椅子を隣に寄
せた。
 
「ね、何時ものやってよ」
 
「あれはそんなに見せる物じゃないよ」
 
「どうしても駄目?」
 
「駄目」
 
 残念そうにナタリーが離れる。受け継いでいないとはいえ、魔術師の娘だ。アレだけ接近さ
れた状況では、何か感づかれないとも限らない。苦笑しながら切嗣はグラスにウィスキーを注
いだ。
 
「どうぞ、お嬢さん」
 
「いじわる」
 
 そっぽを向きながらナタリーがグラスを傾ける。と、そのままの姿勢で目を大きく開いて固ま
った。
 
「―――!? これ」
 
 苦笑から微笑みに変え、切嗣は肩をすくめて見せた。種を明かせば簡単な強化、ボトルを
握った時に、香りと風味を深くしただけのことだ。
 
「手品は種を見破られちゃいけないからね」
 
「……いじわる」
 
 もう一度、ナタリーが拗ねた様に言った。
 
 〜To be continue.〜
 







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